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カナダ太平洋鉄道(CPR)

カナダ太平洋鉄道(CPR)

大陸横断鉄道を建設した「カナダ太平洋鉄道= Canadian Pacific Railway(CPR)」はその名の通り、大西洋から太平洋まで続く鉄道の建設、および運営を担うためにつくられた会社です。当時のカナダは鉄道で東西が結ばれたものの、国の真ん中あたりの広大な平原=プレーリーには住む人もいない状態でした。そこでヨーロッパ各国から移民を募り、船で大西洋を渡った移民と今度は列車で西へ西へと運びました。カナダの真ん中あたり、アルバータ州、サスカチュワン州、マニトバ州はプレーリー3州と呼ばれ、広大な小麦や菜種の畑がどこまでも続きます。この光景と豊かな実りは、ウクライナなどヨーロッパからの移民の一家が何代にもわたって大地を耕してくれたおかげです。プレーリー3州の1つ、アルバータ州には、カナディアンロッキーの玄関口であるカルガリーがありますが、州都は北の方にあるエドモントンです。カルガリーがアルバータ・ビーフで有名な牧場の街なら、エドモントンは小麦生産が盛んな農場の街。カナダの旅ではエドモントンの小麦で作られたパンもぜひ味わってみてください。

さて、CPRが建設した大陸横断鉄道は、移民を運ぶこと以外に、アメリカやヨーロッパから観光客を呼び込むことにも使われました。まずCPRは、各地にお城のような豪華ホテルを建設していきます。ケベック・シティのランドマークであるホテル・シャトー・フロンテナックや、カナディアンロッキーにあるバンフ・スプリングスホテルも、今は経営が変わったものの、もとはCPRが建設したホテルです。そしてカナディアンロッキーでは、ヨーロッパ各国でポスターをはったり、本場スイスから山岳ガイドを招へいするなどして観光客を呼び込みました。

CPRは船の運航も手掛けていました。日本とのかかわりでは、「香港-横浜-バンクーバー」という定期航路を持っていました。明治以降、多くの日本人がバンクーバーやその南の港町スティーブストンへと出稼ぎに来たのも航路があったおかげでしょう。CPRのマークにはビーバーが描かれています。その理由はビーバーが働き者だから。“work like a beaver (せっせと働く)”という英語の表現もあります。列車や定期航路の運航、そして観光事業などさまざまな事業を手がけるCPRのマークに、ビーバーはぴったりなのかもしれません。