メインコンテンツへ移動

カナダを彩る作家(2) Hugh MacLennan

カナダを彩る作家(2) Hugh MacLennan

一般に日本人は「西洋人は絶対的な神を信じるから、思考の根源が違う」と考えがちである。つまり日本人の思考の根源は相対的であるからと。しかし、カナダの小説を読む と必ずしもそうでは無いことがわかる。カナダの有名な作家ヒュー・マクレナン(Hugh MacLennan)の 「Two Solitudes(二つの孤独/孤立)」を読むと日本人の西洋人に関する考え方を覆す程の印象を受ける。

カナダは今でこそ先住民が表面化してきたが、西洋人がアメリカ大陸北部開拓以降1960年代頃までは白人に代表される世界であった。その白人の世界も、フランス系とイギリス系に分かれていた。ヒュー・マクレナンは、このカナダの相対的な世界を仏英の二つの言語、カトリックとプロテスタントの二つの宗教、貧富の相対性そして、女性の存在の目覚めである男女の相対制に由来した苦しみ、悩み、矛盾を彼の作品「Two Solitudes」に於いて見事に展開するのである。相対と言うよりはむしろ相克、そして孤独と訳すより孤立とした方が相応わしいかもしれない。

これを読むとカミュやドフトエフスキーにあのような作品を書かせた絶対的な神の存在が、西洋の現代の社会において如何に希薄であるかも頷ける。日本のように一つの人種、一つの言語で生活して来た人々は、一国内で異なった人種が住み、数カ国の言葉で話す人種間の相克の厳しさに気づかないかもしれない。そして観光客として、ケベック州、オンタリオ州を訪れる人はその亀裂の深みに触れる事なく観光を楽しむであろう。もちろん日本にもアイヌ部族、同胞などの問題もあるが、政治的な分野でカナダほど表面化してはいない。この亀裂及び英国系の優越感はルーシー・モード・モンゴメリの時代には簡単かつ明瞭である。彼女の「アン」シリーズの二巻目「アンの青春」の中で、雇われ青年に関してのマリラの言葉である。
『マーティンも他のフランス人達と変わりはないよ。あの人たちは一日だってあてにゃならないんだからね。』
このような表現はモンゴメリの作品に幾度となく現れる。これを読むフランス系の人々が現在どう感じるかは読者の想像にお任せしよう。それ故、今回はカナダの作家、ヒュー・マクレナン(Hugh MacLennan)の「Two Solitudes」を通じて、そして私自身の経験を通じて、カナダの相克的な世界に於ける『孤独/孤立』について紹介したい。

コロンブスがアメリカを発見して以来、多くの国々が新大陸に自由を求めて漂着した。カナダは最終的にイギリス人とフランス人の探検家により開拓がなされ、カナダに住み着いた。以後この二つの人種の相克が絶えない。外国でニュースになる程表面に浮き上がらないので 外国人は気がつかないかも知れないが、実際にケベック州、オンタリオ州に住んでみるとこの二国語の争いがこれ程も根強いものかと愕然とさせられる。

「二つの孤立」は三世代に渡る一つの国カナダに於いて相反するフランス系、イギリス系の対立の物語である。当時カナダは東部のニューブランズウィック、ノバスコシア、オンタリオ、そして平原と山脈の開拓部落を越えた西の果の太平洋岸のブリティッシュ・コロンビアまで、イギリス系の部落を広めていった。しかし歴史は変化をもたらし、新教を信じたイギリス系の人々がカナダに入り、当時先端の技術で横断鉄道が当然の如く敷かれ、カトリック教が牽制していた化学/科学も自ずと発展して行くのである。技術と科学に力を入れて境界のアメリカ合衆国と小規模ながら肩を並べて行くイギリス系のカナダ人、それに相対してカトリックの教えに従い、芸術、美術に力を入れ、理数系は必要がないと相反するフランス系カナダ人がヒュー・マクレナン曰く『瓶の中のアルコールと油』の如く共存し生き延びて行くのである。

仏系であるが故に高等教育を受けられない少年。仏系でも裕福な故に英国の高等教育を受けて二か国語を堪能に話す故、将来の成功を約束された少年。英語が堪能な故に英国系の女性との結婚が許される青年、英系の母親から生を受け英語を母国語として生きる仏系の父を持つ子供達がこの様な様々な生活状態におかれ、葛藤の中で生き延びる若者の苦しみと努力がこの作品に浮き彫りにされるのである。

孤立し相対した英仏系が世界大戦を通じて一つになり、愛国心故に複雑な母国を守るために多くの犠牲を払って戦争に勝ち抜いたのである。そこには母なる英国の為に参戦する抵抗を感じた仏系の青年らが、カナダの為にと決断を下す瞬間の心の葛藤が見事に描かれる。瓶は未だ破れてはいない。相対する苦悩を抱えたカナダが、『アルコールと油』の如く英仏を混合させたらカナダはもはやユニークでは無くなるという事実を承知しつつ、不承不承に瓶を割らずに英仏が力を併せて世界対戦を通じ新しい一歩を踏み出したのだと作者はこの本を括るのである。

『アルコールと油』のように社会はバイリンガルを受け入れ溶け合った状態にはなったものの、カナダの二つの孤立は永遠に続くであろう。1974年代に私たちはモントリオールに住んでいた。長女が生まれ、家も買い、幸せなバイリンガルの生活を始めようとしていた。郊外の新しい住宅地でドイツ/イタリア人の夫婦、フランスから来た夫婦、カナダ系フランス人、日本/アイリッシュ系の私達は親しい友達となった。正にモザイックの社会である。フランス系は英語を習い、英語系は仏語を習い和気藹々とした雰囲気であった。それから二年後、モントリオールが属すケベック州の選挙があった。ケベック州は犬に赤いスカーフを巻いて走らせれば、犬でも自由党に当選すると言われるほどの自由党が占めてきた州であったが、この時、1976年に異変が起こった。鋭い目をしたレネレベックと呼ばれるカナダ離脱を叫ぶパルチケベッコワ党のリーダーが自由党を倒してケベック州知事となったのである。ヒュー・マクレナンが「Two Solitudes」を書いて30年後のことである。カナダ離脱党は10州の内の1州に過ぎないので、瓶が未だ割れたわけでは無い。にも関わらずカナダの社会は混沌状態に陥った。フランス系はそれほど力があると言うより地理的に瓶を割る力があるからである。

当時大きな石油会社に勤めていた若い夫は部長に呼ばれ、「君がこの会社で上に登りたいという野心を持っているのなら、モントリオールを出て、トロントへの移転を請願すべきだ」と言われた。理由は「君は将来可能性があり、英仏堪能だが、君の性はライリーというアイリッシュ系の名前であるが故、ケベック州で、高い地位を得ることは今後不可能だ。」と言う宣告を受けたのである。アルコールと油の世界が突如フランス系対英語系という境界線の引かれた水と油の国となったのである。カナダ離脱党は両親がケベック州の英語の学校を出ている子供に限り、英語教育を受けられるというおふれをだした。英語圏と仏語圏は9対1の差であるが故に英語教育は必須である。私は日本で教育を受けた。夫は父親が外交官だった故、ケベック州で英語教育を受けなかった。それ故未だ幼い子らは仏語教育のみを強いられることになったのである。この時点で、幸いにも夫はトロントへの転勤が許可され、私たちはケベック州を離れた。私たちのみで無く英語系の人々の大移動があった。家の値段が急落下し、買った当時より遥かに低い値で家を売る羽目に追い込まれた。

これを期にカナダ離脱党の力は急増する。恨み募った仏系の復讐かと思われた。無理もない。カナダを離脱して、一つの国を形成するケベック州独立の声が次第に強くなる一方であった。ケベック州がカナダから離脱すると地理的にカナダの英語圏はケベックを挟んで完全に二つに断ち切られてしまうのである。勿論、仏系の人々の間でも賛否両論があり、家庭内に亀裂が起きた。

「Two Solitudes」の中にも出てくるが、裕福な仏系の男子はこの時代でさえ、英語の私立学校に入り、マギル、ハーバード、オックスフォードなどの有名校で教育を受けるのが常であった。矛盾した話であるが、仏系の人々にとって英語は成功する為の手段に他ならなかった。即ち、英語無しでは上に登れない世界で、仏語保存の為一般のフランス人は英語を習う機会を取り上げられたのである。にも関わらずケベック独立運動は白熱するばかりであった。

こうした中である事態が起こった。勿論これは多くの理由の中の一つに過ぎないかも知れないが、1998年一月カナダ中東部を予期せぬ氷雪の嵐が見舞った。前代未聞未曾有の氷雪に州全体が厚い氷に覆われた。交通機関は途絶え、厚い氷に覆われた電線はケベック州全体に電源を送れず冬の最中に人々は空腹と寒さに震えるのみであった。後にケベックに住むカナダ離脱を望む仏系の友人が我が家を訪問した際に語った。「もう僕ら家族は暖房もなく食物もなく車を使うこともできず死を覚悟していましたよ。重さで倒れた樹々は道路に放置され、氷に覆われた電線、車、道路に何も手を施しようがなく、全ての交通機関が止まってしまいこれほどケベック州政府の頼りなさを経験したことはありませんでした。数週間の諦めの境地の最中救援に現れたのが、カナダ政府の軍隊でした。彼らは数日間で目も鮮やかにケベック州政府が出来なかったことをやってのけ、住民をこの危機から救ったのです。僕は幼い頃からケベック離脱、独立の思想にかぶれていましたが、この時初めて、ケベックはカナダに残らなければ生き延びていけないと実感しました。」

以後ケベック離脱運動は下火になり、団結の必要性が広まり、セパレティスト(離脱を促す一群)の勢いも穏やかになった。多くの人々が私達の友人の意見を共有したものと見られる。
もちろんこれで英系と仏系の亀裂が埋まったわけではなく未だ離脱派の党は存在する。人口も州のサイズも小さい仏系があらゆる面に於いて必要以上の権利を要求し、政府がそれを承諾するのを不公平だと英系カナダ人が感じているのは明瞭である。殊に西部の保守党にその傾向が強い。カナダ政府も、仏系及び仏語の保護の必要性を強く感じ、英系であっても、教養のある自由党はそれを認めている。大まかに言えばカナダの十州三準州の内たった一州が仏系であるが故、仏語を守る義務があるのは当然であると。しかしそれを盾に取りケベック州の要求が不公平に膨らんで行く故、他州との対立を起こす。この問題を取り上げたのがヒュー・マクレナンの「二つの孤立」であり現代に於いてさえカナダを象徴する文学作品といえよう。

現在仏系カナダ人は必要とあれば英系の州に自由に移動し、二カ国の言葉を操り、カナダ全体に仏系の存在を広めている。と同時にカナダのすべての州にバイリンガルの公立学校が建てられ、多くの英系カナダ人も両国語を話す。カナダの首相候補は常に両国語が堪能であることが求められる。

美術芸術への愛着、美への追求とその深淵さはカトリック系の長い伝統であり、自然に身についたフランス系カナダ人の美点と言えよう。それらの重要性が保持できる限り、フランス系カナダ人の伝統は未だ生きていて、今後もカナダという瓶の中で光を放って生き延びるに違いない。

英仏の狭間を活くる吾が子らは 誇りと思へり日系の血を

文:ライリー洋子

 


関連記事:カナダを彩る作家(1)Farley Mowat