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カナダ西部に今なお息づくオリンピック精神

カナダ西部に今なお息づくオリンピック精神

冬に熱くはじける国、カナダは、これまで冬季オリンピックには欠かさず参加しています。それもそのはず、カナダのアスリートたちは、北国ならではの景観を織りなす山や氷や雪に鍛えられています。この広大なアウトドアこそ、カナダ人にとっての遊び場なのです。冬になると、カナダ人の血が騒ぎます。美しい山々ではスキー、氷の張った湖ではアイスホッケーやスケートを楽しみ、さらに創意工夫を発揮して、過酷な環境にも耐える最先端のアパレルを生み出し、大自然に挑むモチベーションを常に高く保っています。

今なお色褪せないオリンピックのレガシーをたどる
カナダでは、これまでにカルガリー(1988年)とバンクーバー(2010年)で2つの冬季五輪が開催されており、こうした地域で育まれたオリンピック精神は今も息づいています。オリンピックのために建設された施設は、依然としてアスリートのトレーニングに使われているほか、一般の利用にも供されています。このような施設は、常に人々にオリンピック精神を吹き込む遺産となっています。例えば、カルガリーのオリンピック・プラザにある無料の屋外スケートリンクでスケート、キャンモア・ノルディック・センター州立公園でスキー、はたまたバンクーバーのBCプレイスでスポーツイベント観戦、その他の主要オリンピック会場跡地の見学を通じて、オリンピックの雰囲気を感じ取ることができます。カナダに残されたオリンピック競技施設は、冬季五輪開催中はもちろん本来の目的に利用されましたが、建設当時から、将来、地元の大切な一部として機能するようにサステナビリティを重視した設計となっています。こうした施設の成否は、単に五輪開催中に目的をしっかりと達成できたかどうかにとどまらず、開催都市が長期的に居住性の良さを維持・向上するうえで、どこまで貢献できているのかも大事な視点となります。

2010年バンクーバー五輪に見るサステナブルなレガシー
世界の人口の半数以上に相当する35億人が見守った2010年バンクーバー冬季オリンピック・パラリンピック外部リンクタイトルe。当時、冬季五輪史上、最高の視聴者数を記録しました。この結果、カナダ訪問者の増加につながり、国際線フライト予約件数は倍増しただけでなく、オリンピック・パラリンピック会場やアトラクションという五輪レガシーを一目見ようと、特にウィスラー、リッチモンド、バンクーバーなどには年間を通じて多くの人々が訪れています。大会期間中は1万人以上の報道関係者が詰めかけ、スポーツの祭典で繰り広げられる熱い戦いの行方に世界の視線が注がれました。また、開催地となった地域・州・国の人、文化、独自性もクローズアップされました。
度肝を抜いた会場・インフラ
2010年冬季五輪が残した最大のレガシーの1つに、最新鋭の競技会場の建設や既存会場の改修が挙げられます。また、ブリティッシュ・コロンビア(BC)州では、新たなコンベンション・センター、空港拡張工事、空港とバンクーバー市街地を結ぶ高速鉄道、安全性や利便性を高めたシー・トゥー・スカイ・ハイウェイが次々に実現しました。2010年五輪会場建設プログラムでは、全会場の建設に当たって、受け入れ先の地元に長期的な利益をもたらすことが念頭に置かれました。例えば、リッチモンド・オリンピックオーバルは後に地域社会やレクリエーション活動の拠点として人気を集めているほか、ウィスラーの選手村は供給が待ち望まれていた公営住宅として活用され、バンクーバーの選手村はサステナブルな地域開発事例として高く評価されています。

バンクーバー2010年冬季五輪は、リッチモンドからバンクーバー中心部までの120キロ圏とウィスラーにかけて会場が設置されました。全17日間で世界82カ国から2,566人のアスリートが一堂に会しました。
地元の誇り:冬季五輪のアスリートたちの熱い戦いに沸いたバンクーバーとウィスラーでは、世界中から集まった観客が地元の会場だけでなく、レストランやバーからも惜しみない拍手と声援でアスリートたちをたたえました。期待と興奮がひしひしと伝わる中、アスリートたちが素晴らしい成果をあげるたびに街全体が祝福と感動に包まれました外部リンクタイトルe
成功への準備:2010年五輪の開催都市誘致で成功を収めたバンクーバーとウィスラーは、五輪の組織から開催までの7年間の温室効果ガス排出量を、前回五輪開催期間中のわずか数週間の排出量よりも削減外部リンクタイトルeするという思い切ったゴールを掲げました。また、五輪会場のグリーンビルディング基準、水素燃料を使用したSUVやバス、効率的で使いやすい公共交通機関などの活用もあって、史上初のカーボンニュートラル(温室効果ガス排出量を実質ゼロにすること)達成外部リンクタイトルeの五輪となりました。特に公共交通機関は、路線数・便数の拡充や記録的な利用者数の達成につながりました。また、組織委員会は、非営利団体「2020レガシーズ・ナウ外部リンクタイトルe」の支援も表明しました。この団体は、五輪閉幕後に、さまざまな機関と協力しながら、スポーツやレクリエーションの分野はもとより、アートや教養の面でも、地域にメリットがもたらされ、サステナブルなレガシーへの移行に取り組みました。


 

2010バンクーバー大会の概要

数字で見る2010バンクーバー大会

  • 大会期間17日間競技会場9カ所
  • 86種目で計615個のメダルを授与
  • 参加選手数2,632人
  • 報道関係者数10,800人
  • バンクーバー2010オリジナルの赤の手袋販売数330万セット以上
  • 全世界のテレビ視聴者数35億人

1988年カルガリー冬季五輪のレガシー

1988年カルガリー冬季五輪外部リンクタイトルeは、カナダで初めて開催された冬季五輪で、カルガリー住民が大きな支援役を担いました。オリンピックの成功は地元の誇りとなりました。大会ボランティア9,400人の募集が発表されるや、2万2000人が応募。そのほとんどがカルガリー住民でした。応募者の職業や経歴は多種多様。その多くが仕事を休みにして「チーム88」に参加しました。最終的には、ボランティア数は1万人を突破し、大会のめざましい成功を支えることになったのです。チーム88のコンセプトは、「大会中にボランティアとスタッフが一体となって力を発揮する」というもの。限られた予算の中、結束力を持って仕事に取り組むことは、大会運営の成功の鍵を握っていました。大会規模も拡大傾向にあり、アルペンスキーを中心に種目数が56に増加し、初めてスーパー大回転がプログラムに入ったほか、40年ぶりにノルディック複合が復活しました。同大会でカルガリーは世界的な知名度を獲得、世界トップクラスの都市を支える最先端インフラの整備にもつながりました。近年、多くの五輪開催都市では、仮設競技会場の建設や、恒久的な施設の別目的施設への転用といった対応が見られますが、カルガリー大会のレガシーである5会場は、30年以上が経過した今も、当初の目的どおりに現役で利用されています。その5会場とは、カナダ・オリンピック・パーク、スコシアバンク・サドルドーム、キャンモア・ノルディック・センター、オリンピック・オーバル、ナキスカ・スキー・リゾート。いずれも一般の余暇利用からオリンピック選手、プロの本格利用まで対応しています。後の2013年に、2月13日がカルガリーの正式なオリンピック・レガシー・デーん制定された際、ボランティアの功績が称えられました。

カルガリー冬季五輪は、今もポップカルチャーシーンに登場します。例えば映画では2つのヒット作品に同大会が登場します。まず1993年に公開された『クール・ランニング外部リンクタイトルe』は、ボブスレーのジャマイカ代表チームが同大会でデビューを飾るストーリー。同作は、カナダの人気コメディアン、ジョン・キャンディの遺作となりました。2015年公開の『イーグル・ジャンプ外部リンクタイトルe』は、運動音痴だった選手が1928年にイギリス史上初のスキージャンプ五輪代表選手にまで上り詰めたマイケル・デイビッド・エドワーズの半生を描いた作品です。出場時の成績は最下位でした。ところが成績が非常に低くても会場では異常な人気を集めました。事態を重く見たIOCは、1988年カルガリー大会後、このような事態を防ぐため、五輪出場条件として国際大会で50位以内もしくは上位30%以内というルールを定めたのです。後にこのルールは、同選手のニックネーム「エディー・ジ・イーグル」にちなんで「エディー・ジ・イーグル・ルール」と呼ばれるようになりました。

同大会は、カルガリーの活性化につながり、また、キャンモア外部リンクタイトルeの町おこしにもなりました。キャンモアは炭鉱の町でしたが、1970年代に産業の斜陽化が始まり、ボウ・バレーで最後の鉱山が閉山するや、町が寂れはじめました。1988年冬季五輪を機にキャンモア・ノルディック・センター外部リンクタイトルeが誕生し、ノルディックスキー種目が開催された結果、町に新たな独自性が生まれました。今やキャンモアは、山の町として世界的に知られるようになりました。キャンモア・ノルディック・センターは、地元住民はもちろん、外部からの来訪者、さらにはアスリートにも利用され、有力大会も開催されています。

1988カルガリー大会の概要

  • カルガリーはカナダ初の冬季五輪開催都市
  • 同大会から初めて16日間開催に延長
  • 1988年大会は、初の禁煙大会

数字で見る1988カルガリー大会

  • 大会期間16日間
  • 競技会場5カ所
  • 計138個のメダルを授与
  • 参加国数17カ国
  • 参加選手数1,423人