メインコンテンツへ移動

カナダを彩る作家(1) Farley Mowat

カナダを彩る作家(1) Farley Mowat

ツンドラの吹雪飛び交う北の果て蹄の音と遠吠えを聞く


人口、兵力、経済力など多くの面でカナダを凌ぐアメリカ合衆国の隣に位置しているカナダであるが、その優れている面は兎角忘れられがちである。芸術家、音楽家、そして作家などが秀でていると、彼らは全てアメリカ人と思う節がある。歌手でもセリーヌ・ディオン、ジャスティン・ビーバーも有名であるが故に日本では彼らがアメリカ人だと思う人が多い。同様なことがカナダ文学でも言えよう。確かにカナダで教育され、有名になった芸術家はアメリカに行った方がお金儲けになると、カナダを出る傾向があるのは否めない。アメリカで、より成功して名を馳せたいと思うのはカナダ人に限ったことではないが、隣国で同じ言葉を話すという点で、カナダ人がアメリカへと流れるのは容易であり、かつ不思議な事ではない。

これから数回に渡り、カナダ作家がかもし出すカナダ人であるが故に書ける作品を、私のカナダ生活を通じて語りたいと思う。
 

今回カナダとカナダの作家を紹介するにあたり、カナダ人でありながら、アメリカの移民権をとった作家も含めて数名選び、シリーズでそれぞれの作家が愛したカナダを展開したい。「赤毛のアン」シリーズで代表される L.M.モンゴメリーはあまりにも有名なので、今回は除く予定である。まずカナダ色の濃いファーリー・モワット (Farley Mowat 1921−2014)から始めよう。モワットは私がカナダに来て初めて知った作家である。カナダの広大な自然、青い何マイル(1.609Km)も続く湖、そこに住むカナダ特有の鳥や動物達に囲まれてボートを浮かべ、ボートの中で夜を過ごした思い出、幼い子供達と小さなトレイラーを引いて自然の中でキャンプをした思い出など、全てモワットの作品に連なる。大自然の人一人いない州立公園の森林の中にテントを張ってキャンプをすることもできる。夜中に狼の遠吠えで目覚めることもある。

若い頃、Six Miles Lakeという人里離れた、大自然に囲まれたオンタリオ州立公園内でキャンプをした経験がある。夫が作った小さなボートにキャンプ用品を山と積み、その当時でさえ存在したライフジャケットに身を委ね(私は金槌である)ボートでキャンプに適した場所を見つけるのである。誰もいない岸部の岩に生える木にボートを括り付け、堆積した松葉や樹々の葉で柔らかくなった地面にテントを貼る。その辺りは私達以外には人一人見かけない。夜中に突然狼の遠吠えで目が覚める。背筋に電撃が走る。いかにも近い。翌朝、レインジャーに聞くと、「いや、あれは狼ではなく、ルーンと言う鳥ですよ。」と笑う。今でこそルーンは1ドル硬貨の表面にデザインされ、ルーニーという名で親しまれているが、当時は知る人ぞ知る鳥であった。因みに2ドル硬貨はトゥ(2)二ーと呼ばれる。ルーンはカナダを代表する渡鳥で、鴨より少し大きめで体に白黒の模様があり潜りの名人である。しかし、ルーンの最も顕著な点はその鳴き声にある。体に比較し、その声のボリュームたるや狼を彷彿させる。慣れてくるとその声も時、所、状況により、異なるのに気がつく。私が夫を亡くした時に湖水から聞こえてくる夕方のルーンの憂いの籠った悲しげな鳴き声に胸が塞がれる思いがした。ルーンは一つの湖に一家族しか住まないと言われる。湖水の多いカナダは正にルーンにとって天国に他ならない。脇道に逸れるが、カナダは全国土の9%が湖であると言われ、地理の時間にアメリカとの国境にある五大湖を初め北峰領土の上を飛行機で飛ぶと、文明に晒されていない湖が数限りなくあり、世界有数の湖水保有国であることが一目瞭然である。

夏休みに入ると州立の広大なカナダのキャンプ場すら家族で一杯になる。いっぱいといってもカナダの州立公園のキャンプ場の「いっぱい」は日本それとは比較にならない。一家族が締めるキャンプ場の面積の広さは小さな家が容易に一件建てられるくらいの広さで、テントを張ったり、トレイラーを持ち込んだりする面積、及び調理をし、キャンプファイアを楽しむ場所の回りを木々が立ち込め、完全なプライバシーが保持されている。コロナ禍以後安全な戸外生活が促されたされた故、都市近辺のキャンプ場はかなり以前から、予約が必要と聞く。

そんな中で州立公園には大学生のポピュラーなアルバイト、自然を守り、キャンパーに知識を与えるキャンプ場レインジャーの存在を知った。森の中の野外劇場で、若いレインジャーが子供達に自然に関する楽しいコースを、夜は日毎に異なる講演を提供するキャンプ場もある。講演はそこに住む動物、鳥、食物など知識は尽きない。キャンプ場を取り巻く狼の生態、狼の遠吠えの意味などの講義もある。そして、ある夜は習ったばかりの狼の遠吠えで実際に狼とコミュニケーションをとったりもする。そこでルーンの鳴き声と狼のそれとの違いを知った。その講演中、数回紹介されたのが、オンタリオ生まれの作家ファーリー・モワットの作品であった。

ファーリー・モワットはカナダの北方ツンドラ地帯に住む数々の動物及びイヌイット部族 (当時エスキモー部族と呼ばれた) を小説の中に取り入れている。どちらかと言えば殊に科学者の間で争論される作家であり、真実性を疑われる作家でもある。まあ、作家というものはある程度のフィクション無しでは作家とは言えないと思って読めば、彼の本が50数か国語に訳され、非常にポピュラーなのがすんなりと納得できる。

彼がイヌイットや先住民と共に数年実際に生活して、動物の生態を自ら経験しているのも事実である。単なる研究や調査の結果を描いた物では無いので、面白味が増す。彼の最も有名且つポピュラーなそして論争の中心となった作品は 「Never Cry Woulf」であろう。

第二次世界大戦数年後にカナダ政府がアラスカからカナダ大陸の北東部の荒地ツンドラ地帯を移動するカリブー(トナカイに似た動物)の減少が目立ち、その原因の調査に当時トロント大学で動物学を研究中のモワットを現地に派遣した。当時カナダ野生動物研究所では、カリブー減少の原因は、狼がカリブーを餌食にする故と考えていてその実態を証明するためであった。しかし数年に渡る現地調査の結果、彼はその外見故に一般に恐れられている狼に非常に同情的で、カリブーやトナカイの群れなども狼が殺すのは大抵年老いたり、怪我をしたりして余命のない鹿類であること、それどころか獲物が少ない冬などは野ネズミや野ウサギを食べたりして生存しているのみならず、カリブーが周辺にいる時でさえも小動物を餌に好むと言う結果を提供するに至った。彼は、人類が昔から神話的に信じて来た「狼は恐るべきもの」、情け容赦なく獲物を食い尽くすという (例えば「赤ずきん」や「ピーターと狼」に代表されるような) 寓話を根絶すべきだと主張する。

モワットによると一般に狼は雌雄のペアーとその数匹の子狼の家族で成り、かなり人里離れた広範囲を自分の領土として歩き回る。乾燥した気候が続き、餌が見つからない時のみ人里に現れ、農家の小動物を餌食にすることもあるが、概して狼は人を避け、森林の奥深くに住む。家族で群れを成して移動するケースもあるが、普段は一、二頭で歩くのが常であるが、獲物を見つけるとパックと呼ばれる群れが集まり、標的の獲物を取り巻く。これは私が住むこの辺のコヨーテも同様で、飼い犬がコヨーテを追いかけると、犬をパックのいる所まで連れ込み、突如パックに囲まれる状況に陥れる。しかし人間を襲うことは殆どない。

モワットは彼の体験した狼の生態と、ツンドラ地帯を駆け巡る数万頭のカリブーの関係をカナダの大自然の中で活き活きと驚愕を籠めてかもしだす。殊に雪吹雪くツンドラで冬を生きるモワットの動物描写はカナダの冬を知る私には想像に余りある。

調査と体験の結果モワットは当時カリブーが減少した原因は狼の虐殺では無いと説く。何故なら一頭で歩くことの多い狼にとり、カリブーは強く、早く走る動物であり、後ろから追いかける狼にとってカリブーの強い後ろ足は不利になること。それ故スピードより根気で行く狼は小さい狐、ウサギ、鼠などを好むと言うのである。逆に狼は生き残れないと見なされる或いは繁殖に悪影響を及ぼすと見なされるカリブーを食べるので、健康なカリブーの繁殖を促すと締めくくる。

しかし、これに対して多数の論争が持ち上がり、学会でも多くの反対論が発表された。 ある学者は彼の調査は偽りに他ならないと主張する。これが書かれた当時と異なり、現在ある種(数種類のカリブーが散在する)のカリブーの群れは数を増し、17万頭と見なされ、この大群が移動する北東ツンドラに観光客が充満しないのは人間にもカリブーにも幸いであると言えよう。

鼠を餌にすると言うモワットの話は後に私自らが信じるに至った理由がある。現在私が住む所は自然に囲まれてアスファルトの散歩道が、車道に沿って敷かれている。所々にゴミ箱と犬の糞の為の袋が備えられている。たいていの住民は規則を守り糞を拾いゴミ箱に捨てる。時々拾われていない糞をよく見ると、普通の家庭で飼われている犬の糞と異なり、鼠の毛皮、骨、或いは紅鈴薔薇などが消化されずに排出されている。野生動物の多いこの地では、狼こそ見かけないが、狼より穏やかに見えるでひと回り小さめのコヨーテが沢山いる。誰にも拾われない糞は正にコヨーテの糞であり、カナダガチョウ、鹿やクーガーなどを見かけるこの地で狼と同種類のコヨーテがネズミなどを食べて生息しているのが、生物学とは程遠い私でさえも証明できる。それだけでは無く、このコミュニティーを運営する自治体ですら、此処では鳥の餌箱を下げないこと。理由は鳥が取りこぼして落ちた餌を野ネズミが食べに来る。野鼠が集まる所にはコヨーテが来る。と住民の安全性を保護するためのおふれを出す。今ではモワットの説が当然のことのように取り入れられている。ほんの時折鹿、ガチョウの残骸を、林の中の舗装されていない踏み固められた歩道に見かけることがあるが、クーガー(山猫)などもいるので、コヨーテにやられたとは限らない。

モワットの作品を事実に基づいていないと酷評する自然科学者の誰一人として、モワット程長期間ツンドラで、カリブーと狼と共に暮らしてはいないはずである。と同時にモワット自身も自分は学者よりも小説家であることを認め、良き小説を書くためには事実を曲げることが悪いことだとは思っていないと言っている。この小説はロシア語にも翻訳され、狼狩りが広く行われていたロシアでもモワットの言い分に影響され、激しい狼狩りが減少したという話もある。
Graves. Will (2007 )Woulves in Russia:Anxiety throughout the ages)参照

Farley Mowat は People of the Deer 、The Snow Walker など多くの作品を残した。彼の作品の数々は、かつて北極で人口密度も高くカリブーの生息数に依存し、豊かな暮らしを営んでいたイニュイットの人口が無知な白人に押しつけられた規則により徐々に絶滅に近い状態に陥ったことを暗に仄めかすのである。The Snow Walker は イヌイットに関連した11の小話であり、若い頃私は非常に感動して、一時翻訳を始めたが、忙しさにかまけて断念したのを、今更悔やんでいる状態である。

参考文献:『Never Cry wolf』及び Wikipedia

文:ライリー洋子